晴々 haruharu

今年の目標は「できる限り、健康になる」

末端で「夢クリエイション」していた頃のわたし、あるいは日雇い派遣の深夜労働でとんでもないヤツに出会って派遣元にキレた話

突然ですが、あなたは「自分の学費」をどうやって工面しましたか。

そもそも「工面」という言葉自体が、「お金を用意する側の人間」が使うものなので、「全部親に出してもらった」人には、あまりピンと来ない質問かもしれません。

わたしは小・中学生時代、持病があって不登校ぎみでしたが、勉強自体は嫌いではなかったので、高校で一発逆転を狙い、私立高校の特進科へ進学してしまいました。

特進科はさすがに、「難関大学絶対行かせるマン」なので、そもそもの通常授業が7限目まであったり、その上さらに午後8時までの「自習」と称した補習*1があったり、学校敷地内にある宿泊施設や、外部の研修施設にて、ほぼ軟禁状態で数日間ひたすら勉強をする「勉強合宿」なるイベントがあるようなところで……
当時のわたしはこれをとても甘く考えていました。

勉強合宿中に体調を崩して強制終了となり、うっかり部屋の鍵を持ったまま帰宅してしまったために、2人部屋の相部屋の子や先生、施設の管理者の方にかなり迷惑をかけて、嫌われてしまったり……
1年の夏休み明けから、あまり登校できなくなってしまいました。

そもそもわたしは、高校入学前に体調を崩してしまって、4月中はほとんど登校できず……やっと登校できたGW明けくらいの頃には、普通に登校してきた子たちの間では既に友達の輪が完成していたようで、わたしはどこにも属せないひとりぼっちになっていたので、「わたしがいなくなっても、別に誰にも迷惑はかけない」と思っていたんです。

でも親は違う。

このときまでの学費は親が出してくれていたので、「せっかく高い制服を買って、学費も出してやったのに、なぜ行かないのか」と怒って当然だと、今は思います。
特に学歴コンプレックスがある父は、わたしがきちんと高校を出て大学に進学することを何より求めていたはず。
わたしも、せめて高校くらいは出たい。
そのとき選択肢に浮かんだのが「通信制高校」でした。

実は結構年季の入った不登校だった癖に、当時のわたしは通信制高校のことをよく知りませんでした。
ときどき登校していたから、全日制でも何とかなると思われていたのか?、中学時代の進路相談でも、通信や定時の話は全く出てこなかったのです。
なのになぜ?と思うでしょう。
先に特進科をドロップアウトした子が、「通信制高校に行く」と言って辞めて行ったのを、わたしは聞いていたんです。彼女が今どこにいるかは全く知りませんが、わたしはどこかに足を向けて眠れません。

通信制高校に行くから、今の高校はやめたい」
そう父に伝えたところ、「学費は出さない」と冷たく言われてしまいました。

幸いにも、公立の通信制高校の学費はびっくりするほど爆裂安く、授業料無償化前の時代でも、教科書等を含めても年間10万円でお釣りがじゃんじゃん来るような金額でしたが、出してもらえないなら、自分で稼がねばなりません。もちろん、通学費用も必要でした。
当時のわたしは、このとき生まれて初めてアルバイトをします。

でも、そもそも体調があまり良くない。

2年くらい同じ場所でアルバイトをしていましたが、「体調の良い時だけ働きたい、その方がバイト先にも迷惑をかけずに済む」という思いが募りました。
そんな時に知ったのが「日雇い派遣」。
特に当時のわたしは、働いたら即日お金が受け取れるようなところで働いていました。*2

医薬品の工場での箱詰め、缶詰工場での検品、市場近くの工場での新鮮な野菜や果物の袋詰め、段ボール箱へのシール貼り等の工場を渡り歩き、軽作業をこなす日々。
そんなとき、いつも入っていた工場が日雇い派遣の使用を終了することになり、仕事が激減。派遣会社から新たにあっせんされたのが、「プラモデルの箱詰め作業」でした。


ATTENTION
これは今から10年くらい前のお話です。
「ここから先の内容は事実を元にしたフィクションで、実在する企業や人物とは一切関係ない」というテイにさせてください



こんなところで詰めているのか……

わたしが利用していた派遣会社の場合なのか、そもそも法律とかで決まっているのかは謎ですが、「仕事を引き受ける」と決めるまで、派遣先企業の名前は一切教えてもらえませんでした。もっとも、教えてもらってもよくわからなかったというのは事実ですが。

静岡県某市にはプラモデル工場が多く、ひとくちに「プラモデル」と言っても、例えば車のプラモデルだったり、ロボットのプラモデルだったり……
他には何だろな?あまり詳しくないからな……
まあ、とにかくいろいろなプラモデルの工場があるのです。

このときわたしが派遣された場所は、某有名ロボットアニメのプラモデルを箱詰めする工場だったのですが……わたしは工場の中に入って段ボール箱を開けるまで、それには一切気が付きませんでした。
何せ、名前も「○○工業」みたいな普通の会社だったし、外観は単なる町工場だったから。

このとき知ったのですが、どうやら、某有名ロボットアニメのプラモデルは、作る工程自体は、よくテレビにも出てくる「シンボリックなデザインを施されている特別な工場」で行われるものの、それを「箱詰めして出荷する作業」はあの工場内では行われていない模様。
ご一緒させていただいた先輩方も、ほっかむりにエプロン、ラバー付き軍手という、「某ロボットアニメに出てくるロボットの名前にやたらと詳しいこと」以外は、どうにも農作業みを感じる御婦人たちでした。

真ん中にレーンがあり、そこを中心に左右に分かれ、流れてきた箱に持ち場のパーツをひとつひとつ置いていく作業。
実はこういう「ライン」と呼ばれる作業をするのはこの時が初めてで、「自分が失敗したら、あとの人に迷惑!」という気持ちから慌ててしまい、はじめての仕事はうまく行きませんでした。
それでも先輩方は和気あいあいと作業していて、「1回目にしては良い方!また来てね」と言って励ましてくれたので、わたしはこの「実家のようなホッコリムード」に心底惚れてしまい、懲りずに何度もこの現場に入りました。

しかしわたしは学生の身。
通信制高校にも一応登校日があり、週2回は学校へ行っていたので、「下校後に仕事に入り、派遣の深夜労働で夜を明かして、朝帰宅するのが効率的なのでは」と思ってしまったのです……。


この日の仕事は23時開始、朝6時終了でした。
そもそものお時給は日中と変わりないものの、深夜手当が加算されるのでお給料的にはかなりのプラスです。

22時ごろ現場に入ろうとすると、普段は開いているドアが開かない。工場のまわりがあまりにも暗すぎて、他のドアがどこにあるのかわからない。
しかたなくドアの横のインターホンを押すと、担当の方に「え?派遣の人?なんで?早過ぎなんですけど!15分くらい前に来ればいいんですけど!」と怒られる……
仕事に早く来て怒られたのはこれが初めてです。

わたしはこのとき気付きました。
深夜労働に、「日中のご婦人のみなさん」がいるはずがないということに……

みんなで休憩中に「○っていいとも」を見てゲラゲラ笑いながら、歌舞伎揚やカンロ飴などがどこからともなく流れ流れて配られる、実家のようなホッコリムードしか知らなかったわたしは、このあと起きる出来事に、ただただ驚愕するしかなかったのです。

「軍需工場ってこんな感じかな」

昼間は隅々まで明るい工場は、たった1本のラインを照らす明かりのみが点いている、まるで「地下格闘技場」のようなロケーションに。

「なんかドラマで見るやつだと、このあと縛られてリンチされそうな雰囲気……」と物騒なことを考えながら歩いていたら、突然責任者の方が「電気のついていないところは、防犯センサーで監視されています!そちらに入ると大音量でサイレン鳴って、セ○ムに通報されますので、絶対行かないでください!」と真顔で結構キツいトーンでおっしゃる。リアルに物騒なやつでした。

そもそもラインが1本しかなく、一緒に働く人も5,6人しかおらず、全員が2,30代くらいの若人。顔見知り同士で入っている人はいないようで、誰一人として口を開こうとはしない……
「やばい時間帯の枠に来てしまったかもしれない」と気付いたものの、逃げられるわけもないので仕事に入ります。

ライン作業は皆経験があるようで順調なものの、この責任者らしき人はただ我々の姿を眺めているのみ。
むしろ見ているのみならば良かったのですが、流れる速度に慣れてきたな〜と思った頃、唐突にラインの速度を上げたり下げたりされるので、都度作業が乱れます。
作業効率等の合理的な措置だとはとても思えず、我々に対するイジメのように感じました。

さらに、休憩時間がおかしい。なぜか責任者の判断で休憩までの時間が延ばされたり、逆に、キリの悪いところで唐突に休憩に入れと言われたり……通信制高校の課題を持ってきていたわたし、全く捗らず。

また、彼自ら「私語厳禁」と言いながら、数少ない女性の派遣労働者に対しておかしな言動をすることもありました。
かくいうわたしも女性なので、「学生なのか」とか、「お金に困っているのか」とか尋ねられました。わたしが「私語厳禁ですよね?どうお返事すればいいですか?」と言ったら睨みつけられ、以降は無視、という感じでした。

この人はおそらく、日雇い派遣が自分の指示にただ従うしかない様子を見て、快感のように感じるタイプ」ではないかと思います。
昼間と違い、深夜にはこの責任者の他に社員が全くいないので、たとえ彼がおかしなことをしていても、誰からも咎められないのです。

昼間は和気あいあいとしながらみんなでラインを流すのに……軍需工場ってこんな感じだったのかな……と思いながら作業するしかなく、とにかく朝までなんとかせねばという思いのみで手を動かしていました。

ようやく5時半ごろになり、作業が終わっても、6時までは労働時間のため、早上がりはできません。それは仕方ないとして、今度は「指示が来ない」のです。何をしていいのかわからないわたしたちは、壁に沿って手持ち無沙汰につっ立っていることしかできません。

そのときふと横に目をやると、ほうきとちりとりを発見!これを拾って掃除を始めるわたし。「怒られるかも」という気持ちもよぎりましたが、わたしは怒られませんでした。
そう、わたしは。

「お前ら何突っ立ってる!お前らも掃除しろ!」

慌てた他の派遣のみなさん、ほうきやちりとりを探します。ところが見つからない。慌てたひとりが、例の「暗がりの中」に入ってしまいました。「大音量でサイレンが鳴る」!?わたしは息を呑みます。

……鳴らない。セコ○も来ない。
……何の脅しだったんだ……。

このあと無事解放され、建物の外で見た朝日はまばゆく、なぜか紫色に見えました。それでも、「末端で『夢クリエイション』した!」という自負を胸に、おそらくこれから出勤されるであろうみなさんに揉まれながら、わたしは電車で帰路につきました。

そして、いなくなった

わたしはこの時の事件?の仔細を、派遣元である派遣会社に相談します。そこで知ったのですが……この会社の深夜帯は、どんなに真面目な勤務態度の人でも、一度入るとそれきりで、「2回目を希望する人」が全くいなかったのだそう。
大半の人が「2回目はなしです」としか言わず、そこで何が起きていたのか、派遣元は一切知りませんでした。
不平不満を口にすると、他の会社もあっせんされなくなるのではという不安からか、誰もこの状況を派遣元に伝えていなかったのです。

「どうにかしますので、ぜひ2度目もお願いします」と言われたので、「何か変化があったのか、確認する責任がある」と思ったわたしは、2度目の深夜帯勤務に入ります。

いない。あいつはいない。
普通の仕事になっていました。
「それはそれでなんか、話のネタにならないな」と、なぜかほのかに寂しかったのは、内緒です。

おわりに

わたしはこの後、ちょくちょく派遣で働きながら、最初の高校から通算して高校6年生まで通い詰め、通信制高校を無事卒業し、通信制大学に進学しました。一度大学を出た後も、選科履修生として、現在も勉強を続けています。

実は日雇い派遣でのお仕事、会社員だった頃以外は、割と最近まで細々と続けていました。今はコロナ禍で、おそらくこういう形態の労働者を受け入れるところは減っているんだろうな……。

本当にいろんな人がいて、楽しくもつらくもありましたが、ただでさえつらい深夜帯の労働、せめて、立場の弱い日雇い派遣に当たるのはやめてあげてください。

*1:部活動を行わない代わりに、その時間で勉強するような感じ。

*2:怪しいところではないです。