晴々 haruharu

今年の目標は「できる限り、健康になる」

「これってもしかして下ネタなのかな?」あるいは深夜ラジオが大好きで卑屈な女子だったわたしの反省

突然ですが、あなたは下ネタ、平気ですか?

10年以上前のことですが、わたしは同人活動をしていました。

わたしが行っていた同人活動は、いわゆる「二次創作」といわれるもので、既に存在している作品を見たり読んだりしたファンが、その作品のキャラクターや設定を踏襲する形でストーリーを創作し、自ら漫画や小説を書いたり、その作品を自費出版する文化です。

コミックマーケットって聞いたことありますか?
あれはこの自費出版本=「同人誌」の即売会です。

作品全ての世界観を一から描く「一次創作」と異なり、キャラクターの容姿や性格、物語の骨子などを、既存の作品から借りて描く二次創作は、著作権的には濃いめのグレーなのですが、著名な漫画家さんも、デビュー前には同人活動をしていたり、「アングラなイベント」ではなく、普通の街中や、ショッピングセンターの中にも、同人誌を販売する店舗があったりする、それなりに大きな市場なんです。


わたしはとある学園ものの恋愛シミュレーションゲームの二次創作を行っていて、そこでわたしを「先生」と呼んでくださる熱心なファンを得ました。

彼女は児童福祉系の勉強をされていて、わたしより年齢が少し下で、わたしが参加する同人誌の即売イベントのほとんどに足繁く通ってくれました。

そんな彼女と、たった一度だけ、共に食事をしたことがあったのですが、わたしはそこで致命的な失言をしてしまいます。



彼女はもともと、ネット上でも「下ネタが苦手」とよく言っていました。

わたしが二次創作で描いていた男性のキャラクターは、創作元の原作作品での描かれ方からして、とにかく四角四面で、生真面目を絵に描いたような方だったから、わたしの作品の中に、彼女を傷付けるような描写はなかったはず。
だからこそ、彼女もきっと、わたしの作品を好いてくれたのだと思います。

でも、わたし本人は、深夜ラジオの下衆な下ネタに爆笑し、枕に突っ伏して笑い声を必死に抑えようとするようなタイプ。
わたしも女性ですが、おっぱいの大きなおねえさんにぱふぱふしてほしくて、ゲームのオフ会では「爆乳三国志」の「爆乳音頭」を歌うようなタイプ。
おっぱい星人であることは、仲間内には周知の事実のような状態でした。今でも、雨宮留菜さんや吉川あいみさんのファンです。

言葉が通じなくても下ネタならわかりあえると信じているタイプでもありました。


そんなわたしをなぜかめちゃくちゃ慕ってくれる彼女の、あまりにも清廉潔白な雰囲気に、わたしは「下ネタは絶対に言っちゃダメだ。話題を選ばねば……!」とかなり警戒していました。
その緊張はやがて、「根っから下ネタ大好きなわたしが何を言っても、下ネタだと思われてしまうかも」というおかしな方向に大回転していき、本当に失礼ながら、言葉を選ぶのが面倒くさく感じてしまう瞬間があったんです。

後になって知ったのですが、人間には、「シロクマのことは絶対に考えちゃダメだよ!」と声かけされ、「シロクマのことを考えないようにしなくては!」と強く思えば思うほどに、シロクマのことで頭がいっぱいになってしまう、という深刻なエラーがある*1そうです。
当時のわたしは、おそらくこの状態でした。

ただ、「下ネタを言ってはいけない」彼女に接するとき、わたしには緊張感と同時に安心感もありました。
当時のわたしはまだ、他人と相思相愛の関係になったことがなかったので、その点で彼女を同族だと思い込んでホッとしていたのです。


余談ですが、恋愛シミュレーションゲームにおける「主人公」というのは、容姿や名前なども作中で具体的に描写される「うたの☆プリンスさまっ♪」のようなパターンと、主人公の容姿はおろか、名前や、その素性すらも一切明かされていないパターンがあり、わたしが二次創作を行っていた作品の主人公は後者でした。

世界観をよそからお借りして物語を描いてはいるものの、「わたし自身の作品」上のキャラクターには、ある程度のリアリティを持っていてほしいと思っていて、わたしの作品での主人公は、わたしにかなり似たパーソナリティ、詳しく言えば「持病がある女の子」にしていました。
なぜならわたしは、自分自身のそういう人生しか知らないので、「明るく元気で、誰からも愛され、いつも仲間に囲まれている女の子」を、実体験をもとにリアリティをもって描くことはできなかったのです。

そして、そういう「活発な主人公」が、「天真爛漫に生きている作品」を描いている作家さんは、ご自身もとても素敵な方ばかりでした。
輝いて見える人は、ただ自分自身の人生をエンジョイしているだけなので、わたしを攻撃するつもりは毛頭ないはず。なのに、そんな姿を見ていると、なぜかチクチク傷付けられたような気持ちになる。
隣の芝生が青ければ青いほど、わたしもブルーになってしまう。

だから、「下ネタが苦手」な彼女には、「そもそも『芝生』すらない」のだと、勝手に思い込んで安心していたんです。


食事をした際、彼女は「下ネタが苦手だと言うと、逆に変な人に絡まれる」と話してくれました。
女子高から、大学も男性の少ない学部に進学し、まわりにはほとんど女の子しかいない環境で育ったと言う彼女。

大学時代のバイト先や、現在の勤務先で、彼女が素直に「下ネタが苦手」と話すと、周囲は「何かあったの?」と、その原因を根掘り葉掘り聞き出そうとする。
あげく「男に慣れてないからだよ!俺が慣れさせてあげるよ」などと言い出して、変な男が寄ってきたのだと言うのです。それで嫌な思いをした、と。

このときふとあることを思い、わたしは彼女に問うたのです。
「彼氏がいたことはある?」

彼女の返事はYESでした。




ものすごい勢いで「芝生が生えてくる」思いがしました。
あるんだ、芝生。
わたしと同じじゃないんだ。

彼女に対する親近感が、急激に冷めていく感じがしました。

「下ネタ苦手なんですよね?でも彼氏はいた?あなたを傷付けないようにかなり気を使っていたのに。あなたが何をしたいのかわからない」

一気にこう言ってしまったあと、わたしがどのようにして彼女と別れたかが、今は思い出せないのですが、彼女と別れて乗り込んだ、ゆりかもめの車窓から見えた空の色は、なぜか今もはっきり覚えています。



「まずいことを言った」とわかっていました。
でも、このときのわたしはなぜか、彼女に裏切られたような思いを抱いてしまい、どうしても「彼女にも悪いところがあった」と無理やり責任転嫁することで、自身の罪悪感を押し込もうとしていました。

「熱烈に慕ってくれる」彼女を、どこかで見下していたところもあったと思います。
関東在住で、イベント会場にも、わたしがかける交通費の何分の1かで来られる彼女の境遇に対する、ほのかな嫉妬心もあったと思います。


程なくしてわたしはこの作品の二次創作熱が冷めてしまい、同人誌を描いたりイベントに参加することもなくなり、いつのまにか、彼女とのご縁も切れていました。


大人になれば、「自分とは違う人」は世界中に山ほどいることに気付きます。だからこそ、少しでも共通点がある人と出会えることは素晴らしい。
でも、「同じでなければ、仲良くなれない」と決め付けて世界を狭めたら、新しい発見にはきっと出会えない。
彼女とわたしは違う人でした。だとしても、もう少し、わたしにも何かできたのではないか……今はそう思えるけれど、この時のわたしにはどうしても、その余裕がなかったのです。


わたしはいまだに下ネタで笑いますし、「成人向け」の作品を観ることもあります。
ただ、そこに描かれている女性がひどい目に遭う作品は、たとえそれがフィクションであっても、あまり見たくはないし、性差別的な発言や、ハラスメントに対してもかなり敏感になりました。

今思うと、オフ会で「爆乳音頭」を歌い、「はーどっこい!」の合いの手を求めていた当時のわたしに対して、参加者の中には嫌悪感を持つ人もいたかもしれないな、と思うのです。
本当にごめんなさい。
おかしな方向にはっちゃけていました。


そして、「他人に対して、恋愛感情や、性的な欲求を持たない人」がいることも知りました。
「恋人同士なら、身体的な接触があって当たり前」と決めつけて迫る恋人との関係性や、「○○歳なのにまだ性的な経験がないのはおかしい」と断定されがちな世論とのギャップに悩む方も多いのだそうです。

彼女ももしかしてそうだったのかな。
そうであっても、なくとも、彼女には彼女の苦しみがきっとあっただろうに。

タイムマシンができたら、あの日の自分を殴りに行きたいと思っています。


なぜ急にこんな話をし出したかというと、「オニャンコポン」という競走馬の名前を見た際、「これはもしかして下ネタかな?」と真剣に悩んでしまったからでした。

ガーナの天空神の名前で、ガーナやコートジボワールの言語・アカン語で「偉大な者」という意味らしく……
わたしは今でも、単なる、無知な変態です。

*1:「皮肉過程理論」といいます