晴々 haruharu

今年の目標は「できる限り、健康になる」

推しは「糸の切れた凧」。どこへでも自由に行けるし、行けばいい。 あるいは「のめり込みすぎてはいけない」という話

突然ですが、あなたには「推し」はいますか。

いるというあなた。
あなたにとって、「推し」ってなんですか。


年明け当初からコロナ禍であった2021年が終わろうとしています。
ワクチン接種が広く行われるようになった成果か、秋頃から感染者数は減少しつつありますが、まだまだ予断は許されない状況だと思っています。

推しが冬からのライブツアーを開催するにあたり、「未来への約束」という言葉を使ってファンに告知を行いました。でも、わたしは発表当初、この告知を手放しでは喜べませんでした。
いまだにライブに参加することに抵抗がある人が少なからずいることを知っていて、現にわたし自身がそうであったからです。


生の推しは見たい。けれど、ライブに行くのは怖いーー
そんな複雑な心境でいた頃、Twitterで推し関連のツイートにつけられる固有のハッシュタグ付きのツイートで、このような発言を見かけてしまったのです。

要約すると……


「仕事柄ライブに行けないとか言う奴は、その仕事をやめてフリーターにでもなればいい。私は自分の生活を犠牲にしてでもライブに行く。その覚悟もないなら黙れ」


ごめんね。率直に言うよ。
何言ってんの???????


あのようなツイートを見て、最後の最後に心を保っていた「最後の一葉」までもが枝から落ちてしまい、取り返しのつかないところまで心が折れてしまった医療従事者がいらっしゃったら悲しい、と思ったんです。

なにせわたしは呼吸器の持病があるから。
お世話になっている立場だから。
そして、わたしのために感染対策に気を遣ってくれている家族がいる。

何も、「お仕事」だけが、ライブに行けない理由ではないのです。

わたしみたいに持病がある人が、それを「やめる」って、一体どういうことですか?
んでしまえ」と言うことなのでしょうか?

同じ推しを推すファンとして、想像力を欠いたこのツイートが、どうしようもなく悲しかった。



ここで、ちょっとよそ様の推しの話をします。
あややこと、アイドルの松浦亜弥さんのご発言*1。有名なお話なので、ご存知の方もいらっしゃると思うけれど。


皆さん、今日この後の予定はあるんですか?

じゃあ、夜は私の2回目の公演に来るって人?
(半数くらいの客が挙手)

ちょっと!
来てくれるのは嬉しいけど、あんまり私ばかり追っ掛けてちゃダメよ。
私、皆さんの人生にまで責任持てませんからね。


そうです。
推しはファンの人生に何の責任も持ってはくれません。
カルト的に推しを信仰していても、「楽園」には連れて行ってくれないんです。


かの有名なカルト宗教*2は、布教のために時間をたっぷり割けるよう、信者が定職に就くことを制限しようとするのだそうです。
なので、「宗教内ではものすごい役職だけど、世の中的には、アルバイト店員」みたいなギャップがよくあるそう。なんらかの理由で体調を崩した際には、働けなくなる信者は一気に困窮します。

そんなときが、宗教の実力の見せどころ。信者同士で助け合うのだそうです。
困窮の根本的な理由を作ったのは、他でもなくこの宗教なのに。
完全なる「マッチポンプ*3です。


あややさんとはまた違いますが、AKBの界隈の「TO」という用語はご存知でしょうか。

「トップオタ」の略で、個人のアイドルに対していちばん入れ上げていて、それを他のファンからも推し本人からも認知されて一目置かれているような状況にあるファンのことですが、アイドルを推す世界で「入れ上げる」と言ったら、差し出すものは主にお金と時間です。
どちらもすごく大切なもの。

でも、そんな大切なものを差し出してTOになったとして、その後の人生に何か役に立つのかな、とちょっと冷めた目で見てしまうんです。
宗教上の地位と同じように、その方の心の中ではものすごく大切なものなのだと思うのですが、伯爵とか男爵とかの爵位的なものとはやっぱり違うので、うーん。


あややさんはこのようにもご発言されています。


私が将来結婚するとき、「一人だけ幸せになって」って怒らないでくださいよ。
そのときはみなさんも、幸せな環境になっててくださいね。


この発言を受け、わたしはちょっと反省……笑



わたし思うんです。
生活を犠牲にしてまで推しを推してしまうと、推しが、ファンのイメージの向こう側のびっくりドッキリなオファーを受けたとき、推しの人生のステージが変わったとき……
ことさらにショックを受けてしまうんじゃないかな
って。

だって、わたしの推し「お顔がおしりの形のキャラクター」になりましたよ。
そんなびっくりドッキリオファー、誰が想像できましょう。
わたしは爆笑でしたけど、このオファーに推しのプライベートを透かし見て、「家族サービスにファンを巻き込むな」と憤る方もいらっしゃいました。


推しってそもそも、「手を離してしまった風船」や、「糸の切れた凧」みたいなもので、我々に操縦できるものではないとわたしは思っています。
風に揺られて空を漂うところを、地上から祈るように眺めるしかないのが、ファンの立場だと。

親心みたいなものでしょうか。
わたしにとっては推しの方が年上だけど。笑

風船や凧なのですから、推しが思いもよらない風向きに流されて、いきなり墜落してしまう可能性だって、大いにあるわけで。


我々の推しって、都落ち妄想が激しいじゃないですか。


大舞台を前にすると、トンズラしたいと「ほのめかす」どころか、むしろトンズラ願望を丸出しにしたり、「不安だ」とハッキリ口にするじゃないですか。
もしも万が一、推しが風に煽られて、本気で「芸能人やめたい」と思い、「トンズラ」を決行してしまったら……
「『心を傾けすぎたファン』は一体どうなるのだろう」と考えてしまうのです。

「そんなの許せない!一生芸能人でいてくれなくちゃ困る」と憤ったり、「一度芸能の世界に足を踏み入れた者に自由の道はない。一般人になっても一生追い続ける」と、推しの第二の人生にズカズカ踏み込もうとしてしまわないか……と心配になってしまう。



我々にできることなんて、祈るよりほかないんです。

祈りを込めながら、何かを買ったり、どこかに行ったりするしかないんです。
でも、あなたの生活から、推し以外の全てを捧げ尽くしてしまうような推し方じゃ、もうカルト宗教やないか。カルト宗教よそんなもん。

何も笑えないよ。
そんなのわたしは嫌だな。


「あー、あの凧そっち行っちゃったか〜。さみしいけど、元気でね」

いつか自分の居場所から、そんなふうに推しを見送れる、健やかな推し方を、わたしはしていたいのです。


*1:2010年のバレンタインライブにて

*2:「ナニカの証人」的なアレ

*3:みずから揉め事を起こし(マッチで火をつけ)ておきながら、「揉め事を解決(この火を消)してあげますよ」と持ちかけて儲けようとするような状況のこと