晴々 haruharu

今年の目標は「できる限り、健康になる」

ひとり夜明けを待つ子どもだったわたしが「朝日を見に行った」思い出。あるいは、今更ながら、SMAPの話。

突然ですが、あなたはSMAPの楽曲を聴いたことはありますか?
さすがにあるんじゃないかなと思いますよ。
タイトルがすらすら出てこなくても、サビをちょっと歌えるくらいの曲はきっとあるはず。

「日本に生まれ育っていたら、ここまで一度も白米を食べたことない人はそうそういないんじゃないかな」くらいのレベルで、SMAPは日本社会に浸透していたような気がします。

ところでわたし、SMAPファンではないんです。
「え?じゃあこのブログ何なの?もうええわ!」って思われるかもしれませんが、すみません、もうちょっとだけ待ってください。
取りたててファンではないわたしが、だからこそのSMAPの思い出を書こうと思っています。



わたしは現在30代前半。東海地方のとある街で、持病があるなりにスクスク育ちました。
小学生の頃、まわりにはジャニーズ事務所のアイドルのみなさんのファンが多くて、「私は誰々ファン。あなたは?」みたいな質問をよくされましたが、正直取りたてて誰のファンと言えるほど詳しくはありませんでした。

当時って、TSUTAYAとか、 CDレンタル全盛期だったんじゃないかと思うんです。

我が家の母は、その時々の人気楽曲のシングルCDを、ランキング順に並ぶ棚から、1枚1枚大量に借りてきてくれて、それを1枚のカセットに録音し、「○○年○月めちゃんこ」と名付けたものを毎月作ってくれました。
当時のわたしにとっての「音楽」といえば、この「めちゃんこ」と、「ミュージックステーション」くらい。
なぜ「めちゃんこ」なのかはよくわかりません。今度聞いてみよう。

で、その、母お手製の「めちゃんこ」に、たびたび入ってくる男性アイドルグループがいたわけです。

それがSMAPでした。


「何せ、あの『めちゃんこ』に入ってるくらいだし、人気あるんだろうな」くらいのイメージ。子どもの頃のわたし、「めちゃんこ」に対する信頼感が厚すぎる。笑

当時はSMAP×SMAPも見ていましたが、なぜか「めちゃんこ」で聞く楽曲と、スマスマで見る彼等のことが、わたしの頭の中では、なかなか上手にイコールでは結ばれにくかったんです。


そんな当時のわたしが「SMAP」を強く意識する出来事が起こります。
それは、「東京ディズニーランド」に家族で出かけた日のことでした。


朝早くに現地に到着するため、夜明け前に家を出て、高速道路を東へ向かう我が家の車。
このときもおそらく、車内には「めちゃんこ」が流れていたはずです。なにせ、乗った直後からすぐに寝てしまったので、カセットをカーステに入れたところ自体は見ていないけれど。

ふと目が覚めたとき、進行方向の空が少し明るくなっているのが見えました。
生まれてはじめて「夜明けの空」をしっかり見た、この日このとき、車内に流れていた曲こそが、「朝日を見に行こうよ」だったのです。



わたしは呼吸器に持病があり、当時、夜中に体調を崩すことが多くありました。
発作を起こして苦しくても、ぐっすり眠っているはずの、忙しい両親を起こすことが忍びなく、朝になって親のどちらかが起きてくるのをひたすら待つ子でした。

子ども部屋でみずから薬を使い、ただただ耐えるつらい時間。
机に突っ伏し、必死に呼吸しながら、両親の足音が聞こえて顔を上げると、いつのまにか「朝」になっていた……というのが、当時のわたしにとっての「夜明け」のイメージでした。

他の健康的な子どもよりは、「夜明けの時間」を経験していたはずでした。
でも、空を見る余裕なんか、まったくなかったんです。



その日の夜明けの空の美しさと、楽曲の歌詞があまりにもマッチしていて、幼い心がものすごく揺さぶられたのを覚えています。
せっかく連れて行ってくれた両親には本当に申し訳ないのですが、わたしはこのあと楽しんだはずの「ディズニーランドの記憶」が、なぜだかまったくないんです!笑

でも、この日のこの出来事だけは、空の色も含めて、今もしっかりと覚えています。



中学生になり、自分用にラジカセやカセットウォークマンを買ってもらった頃、わたしは現在も最推しの、とあるアーティストの大ファンになっていました。
親が運転する車に乗っている間も、自分のウォークマンで「自分が好きな曲」を聴くようになります。

母が「めちゃんこ」を作る習慣もいつのまにかなくなり、めちゃんこ経由でSMAPの曲を聴く機会はなくなりました。


わたしが初めてSMAPのCDを買ったのは、「解散騒動」が話題になった、割と最近のことなんです。

ファンじゃない。だからこそ、


SMAPがデビュー25周年の直前、「解散騒動」で話題になっていた頃、わたしの推しのアーティストは、SMAPよりわずかに早く、デビュー25周年を迎えていました。

推しの25周年記念の1年間がとても楽しかったわたしは、「SMAPさんのファンのみなさんにも、楽しい25周年を迎えてほしい」という思いから、ささやかながらも、「世界に一つだけの花」と、当時の最新シングルだった「愛が止まるまでは」を購入します。

のちに、この「世界に一つだけの花」を購買する行動が、ファンの間で「お花摘み」と呼ばれていることを知りました。

結果として祈りは届かなかったものの、SMAPファンのみなさんの熱意に、ほんの1輪だけでも帯同できたことを、わたしはとても誇らしく思っています。
1輪だけで、申し訳ないですが……。



その後、「新しい地図」のみなさんのチャリティー活動を知り、わたし自身が作成し配信しているLINEスタンプの利益の「作者分配分」や、缶バッジ等のグッズの売上の一部を寄付する宛先として、新しい地図のみなさんが参画する「ラブポケットファンド」がある、「日本財団」さんを選ばせて頂きました。


繰り返しますが、わたしはSMAPのファンだと胸を張って言えるほど、SMAPを濃密に楽しんだ人間ではありません。
SMAPのライブに行ったこともなければ、CDを買ったことすら、このときの「シングル2枚」と、「真っ白なジャケットに、黒い文字で『Smap』と書かれただけの、あのベストアルバムの1枚」のみ。


それでもわたしのなかでは、やっぱりSMAPは特別な存在です。
SMAPの解散が決定的になったとき、最初に思ったのが、「この先大きな災害があったら、誰が日本を励ましてくれるんだろう」という、あまりにも大きな喪失感でした。


SMAPの代わりになるグループなんて思い浮かばなかった。別のグループはあくまで別のグループで、いくら人気があったとしても、それは決して「SMAPの代わり」ではないから、喪失感が埋まる気が全くしません。

なにより、あの日の記憶を巻き戻して、別のグループの別の楽曲に塗り替えることなんて、絶対できない。

いつかまた、5人の歌唱が見たいです。
スマスマで体当たりの笑いをくれたSMAPも、あの日カセットテープで聞いていたSMAPも、今でもずっと大好きなので……。