信頼した先輩に裏切られた思い出。あるいは、先輩に貸したCDアルバムが返ってこない理由。
突然ですが、あなたは「味方だと思っていた人」に裏切られたことはありますか?
わたしにはあります。
社会人として会社に就職した2年目の出来事でした。
4月に会社に入社した新入社員のみなさんが、似たような状況にならないようにと願いを込めて、この記事を書いていこうと思います。
ATTENTION
これは今から10年近く前のお話です。
「ここから先の内容は事実を元にしたフィクションで、実在する企業や人物とは一切関係ない」というテイにさせてください。
わたしはいろいろ紆余曲折あって、20代のはじめに、通信制大学に在籍したままで生命保険会社に入社しました。
当時、「学生であること」は会社に伝えて働いていましたが、営業職員であったこともあり、仕事内容は割と激務。
その上、同期が複数人いるにもかかわらず、直接相談できる直属の上司はいつも不在で、研修後のサポートがほとんど得られないような状態でした。
与えられたエリアを、ひとり手探りで回っていた頃、のちにとんでもないことをやらかす先輩から、声をかけられたのです。
先輩は自分の営業の時間を縫って、なぜかわたしの営業にたびたび同行してくれました。
わたしのお客さまに対して先輩が提案してくれることもあり、その様子を見ながらメモを取ったり、先輩からさまざまなことを学ぶ日々が続きます。
新人時代のわたしが「生命保険の営業」を嫌いにならずにいられたのは、ひとえに、この先輩のおかげでした。
この頃、わたしはとある理由で体調を崩し、しばらく会社に出社できない時期がありました。
その間、わたしのお客さまのアフターサービスを代わって行ってくれたのも、この先輩でした。
ところが、このあと、わたしがこの先輩と決定的に仲違いしてしまう、とある大事件が起きるのです。
突然の拉致
それは、アポの予定のない、うららかな日でした。
「最近、また体調が悪そうだから、連れて行きたいところがある」と言われたわたし。
実はこのとき、先輩の様子になんとなく「違和感」があったわたしは、疑う気持ちをそっと隠して、「病院ですか?整体とか?」と尋ねます。
「そんなようなもの」と言われて車に乗せられ、連れて行かれた場所は雑居ビルの2階。
外には何の看板も出ておらず、入り口に、カタカナばかりで聞いたことのない社名がテプラで貼られているのみでした。
「あー……(察し)」となったわたしは、私物のスマホのボイスレコーダー機能を起動し、スーツのポケットに入れ、扉の中に入りました。
中はたくさんの衝立で雑に仕切られ、そのうちのひとつのスペースに2名の中年女性がいました。
ものすごく太い方と、ものすごく痩せた方でした。
「あーコレ、やっぱりヤバいやつだ」と瞬時にわかりました。
そこはいわゆる「ネットワークビジネス」、ネズミ講の拠点で、彼女たちはその営業をしているメンバーでした。
身なりを見るに、おそらく、彼女たちの「ランク」はそんなに高そうではありませんでしたが。
実はわたしは、はじめてアルバイトをした際、そこで一緒に働いていた方に、「宗教」に勧誘されたことがありました。
当時のわたしは20歳。ものすごく怖い思いをして、死にものぐるいで切り抜けたのです。
そんな経験から、わたしは「次に何かを勧誘されたら、どう切り返すか」を日夜研究していました。
2ちゃんねるの宗教勧誘スレッドなどをよく見て、正攻法のみではなく、「DQN返し」と呼ばれるような一見ヤバい方法など、さまざまな撃退法を学んでいたので、「進研ゼミでやったところ」がめちゃくちゃ活かせそうなこの状況に、わたしは静かにワクワクしていました。
「水素水生成器」を薦められる
それを初めて見せられた時、「どひゃー」と声を上げそうでした。
このとき売りつけられそうになったのは、「ウォーターサーバー型の水素水生成器」でした。
「水素水は純水(純粋?)だから、脳内に入って良い影響を及ぼし、あなたの持病も改善する」とのこと。
水が脳内に入る!?こわ!笑
平成のはじめの頃、アトピーに効くからと、「アルカリ電解水」とか飲まされてたな〜、まだそれ系の勢力は生きとったんか……遠い目をしてしまいました。
今になって思うと、この勧誘って、のちの「水素水ブーム」の走りだったんでしょうね。
まだ「水素の音」は聞いていない時期でした。
さらに、「今ならこれも付くから」と、水筒型のちいさな水素水生成器も見せられたときには、さすがにクスッと笑ってしまいました。*1
売りつけられるものに関しては、何であっても断るつもりでいたので、とにかく「わたしはまだまだ新人で、そんなお金はない」の一点張りでいました。
ところが。
「お金は貸すから、絶対買って。絶対いいものだから」
先輩がわたしにそう言うのです。
コイツに連れてこられた以上、「コイツもグル」だということは、もはや火を見るより明らかです。
でも、自分のお金を貸してまで、わたしにコレを買わせようとする意図が、このときはまだわかりませんでした。
彼女たちは、わたしが水素水生成器に全く興味がないとわかると、「ネットワークビジネス」の方をより推して説明を始めました。
某ファビュラスなセレブ姉妹の名前を出したり、グラフを用いて「権利収入」という言葉を使い、「これを他の人に売ればあなたにも収入になるよ」と言うのです。
「てことは、○○さんもわたしにコレを売ると収入を得るってことですか?」
思わず先輩にそう尋ねてしまったわたし。
実は、この状況は、そんな簡単な話ではなかったのです。
先輩は「二重に」わたしを売ろうとした
このときのわたしはまだ知らなかったのですが、先輩はわたしをこの店に連れてくる前に、彼女たちから「保険契約」を得ていたのです。
「後輩に契約させるから、引き換えに保険に入って」と、彼女たちから、ニーズのない契約を得ていました。
先輩はこの時、自らの職位が下がるかどうかの査定の時期。
どうしてもあと何件か契約が欲しかったのでしょう。
おそらく先輩自身も、彼女たちから水素水生成器を買っていたはずです。
その上で、自分が望む売上の契約を得るためには、「もっと水素水生成器の販売をしなければならない」という二重営業のような状況だったのだと思います。
そこで、持病があるわたしに目を付けたのでしょう。
普段から、「自分と一緒にいれば有益である」と思わせておけば、何の疑いもなくわたしは付いてくると思っていたのではないでしょうか。
実際、付いて行ったのですが。笑
個室から警察に通報しようと思い、「お手洗いに行きたい」と申し出たものの、「トイレに行くなら携帯を置いて行って」と言われてしまいました。
仕事用の携帯だけを置いて行こうとすると、先輩が「私物の携帯もあるよね」。
ダメだ。
この場を切り抜ける駒として、この人をアテにすることはできない。録音をしたまま、携帯を伏せて机の上に置き、その場を離れました。
このあと、一度、彼女たちが席を外す機会がありました。
そこでわたしは先輩に問います。
「これ、ネズミ講ですよね?先輩大丈夫ですか?わたしが契約しないと何か不利益があるんですか?」
ここで先輩が正直に事情を話してくれるのであれば、わたしにもそれなりに考えがありました。
ところが、「これは本当にいいビジネスだから。合法だから。大丈夫だから」としか言わない先輩……このとき、ポロポロ泣いていました。
だからと言って、同情はできないなと感じました。
ふと気付くと、窓の外が暗くなり始めていました。
これは契約しないと帰してもらえないな……と悟ったわたしは、「先輩からお金を借りて契約する」という体にして、ひとまず契約書にサインすることに。
そのときわたしがしたことは、自分の名前の漢字を別のものにすり替える*2ことと、住所の番地をまるまる書き間違うこと。
会社で関わっているだけの人って、下の名前の漢字って意外と知りませんよね。
本名とは全然違う字を目の前で書いたのに、先輩は無反応でした。そんなにわたしに興味がなかったのかと、少しがっかりもしたけれど、これで契約は無効です。
水素水生成器は後日送られてくるとのことだったので、万が一間違った番地でも正しい自宅に届いてきてしまったら、「受け取り拒否」すればいいと思いました。
そして、「この場での支払いはクレジットカードで」と言われたので、わたしは「あれ?あれ?」と下手な演技をしながら、頑なに暗証番号を間違え続けました。
「クレジットカードもロクに使えないような人に、こんな高額な契約させて大丈夫ですか?」と言ったら、彼女たちは苦い顔していたっけ。*3
それならばと、銀行の振込口座の情報が書かれた紙を渡されて、この日は解放されました。
逆襲を開始する
翌日、わたしはかなり早めに出社し、そのときの自分に会うことができたいちばん職位の高い上司に、この件を直接相談します。
録音していた音声データのやりとりの核心部分を切り抜いておき、その音声のいくつかを聴かせると、上司は顔をくしゃくしゃにしかめ、大きな溜め息を吐きました。
わたしが上司に一部始終を説明し、「契約書には偽名と偽住所でサインしてきた」ことを伝えると、「まるで『一休さん』みたいな切り抜け方だな」と笑われました。
わたしはこのとき、自分が知っていた、「先輩に変な営業をかけられた」ことだけを上司に報告しています。
当たり前です。知らないことは報告できません。
この報告を受けた上司が先輩を問い詰めたところ、その話し合いの中で、本人が「代償契約」の事実を告白したのでした。
先輩の行動は、そもそも「ニーズのない契約を得ようとする」こと自体が既にダメですが、もちろんネズミ講の方も、服務規律違反でした。
上司への報告後、少し遅れて出社してきた先輩が、わたしに「例のお金」を渡そうとしてきたので、「上司にすべて報告しました。契約書に書いたのも偽名だし、偽住所。だから、そもそも『わたし』は昨日、何の契約もしていません。そのお金も受け取れません」と伝え、振込先の書かれた用紙も目の前でふたつに破りました。
先輩が青白い顔をして、「そう……」とだけ言ったのを、今でもよく覚えています。
してはいけないことはしちゃダメ
その後、先輩が彼女たちと締結していた契約は、保険料が一度も払われることなく失効となりました。
ニーズのない契約を無理矢理行わせて、すぐ解約されてしまうこと自体、「契約のクオリティ」を示す数値を下げる行動になり、営業所全体の評価の汚点になります。
先輩は今回の行動で複数件の契約を失効させてしまい、この点だけでも、かなり強いお咎めがありました。
さらに、わたしに対して行った不当な「勧誘行為」も強く罰せられ、退職することになりました。
おわりに
先輩がいなくなってしばらく、「先輩は、いつから、こういう意図を持って、わたしに近付いたのかな」と深く考えてしまうことがありました。
「入院している母のもとに見舞いに行く足がない」という話をしていたら、「車を出してあげる」と言ってくれた先輩。
車内で流してもらおうと思い、持参した推しのアルバムをいたく気に入ってくれて、「よかったら、貸しますよ」と言ったこと。
そのアルバムは、結局返ってきませんでした。
先輩、元気でやってますか。
餞別として、そのアルバムは差し上げます。
推しを好きになってくれていたら、嬉しい。
そしたらどこかで会えるでしょう。
心を込めて殴るので、一発、殴らせてください。
お世話になりました。